幸せと没入体験・フロー

日野山794m。今年10回目の雪山。自分史上最高のペースです。雪は膝上まで、ところにより腰まで埋まる深さでした。「前を、女のひとが1人あがっているよ」と、道の途中で引き返してきた男性が教えてくれました。

 

足あとを忠実にたどると、その人の体の軸の移動が感じ取れます。彼女のそれは、とてもきちんとしていて乱れがなく、足をおけばスッと体が上に伸びます。左右におかしなブレもなく、淡々とステップを刻んでいました。気持ちのいい恍惚とするようなリズムです。

 

「どんな女性が前を歩いているんだろう。

 それも一人でラッセルしているなんて、

 すごいなあ。」


一目その人を見たい!と思いながら

登っていると、最後の急登の手前で

佇んでいる人が!


「どこかで会いましたね」

「銀杏峰でお会いしましたね」と、彼女。


少しおしゃべりして、最後の斜面を見上げてのんびりしていたら、夫が「先へ行け」というので、がんばって最後の雪をツボ足で、「この1歩で、どれだけ前に進んだんだ?」と思うくらいがぶりながらも、なんとか登り切りました。


片足がズボっとはまってしまうと

抜くのがたいへんですが、とにかく

雪と戯れるのが、おもしろいです♡


写真がキラキラしているのは、

神様がきっと褒めてくれたから^^


おかげさまで

今日もいい一日が過ごせました。 


*

余談なのですが。「ありがたい」という言葉について少し考えることがありました。ありがたいとは、「有難し」ということ。めったに得られないか、いつかは失われてしまうことが前提としてあるから有難いというのですよね?


でも、幸せを感じているまさしくその瞬間においては、有難い(つまり、失われてしまうかもしれない)などという意識はなく、幸せに没入している感覚なのです。いわゆる、フロー。没入体験。


生きている間に多くの人が望むのは、後にも先にも、得るとか失うとか、気づきも概念もない、没入体験なのではないでしょうか…。それがどんな活動であれ、没入できるというのは幸せなことなのではないでしょうか。


朝、一人で寒いうちから起きだして、台所に立ち、家族のお弁当や朝ごはんをつくり、時計を眺めて「ああ、まだもうちょっと時間がある」とか「今日は、もうこんな時間になっちゃった」とか、時間感覚がいかようにも変化する一人の時間が、私はとても好きです。幸せです。


でも、そんなとき、うっかりと「ありがたいなあ」と考えた瞬間、有難いと思った瞬間、同時に失われる寂しさや不安を抱え込んでしまうことに気づいて、むやみに有難いという言葉を使わないようにしようと思いました。幸せに満ちている。ただ、それだけでいい。


毎日、家族のご飯をつくって美味しく食べる。

そんな暮らしが続けられたら最高だな。



*

以下、備忘で。


私は理学療法士として、高齢者の介護やリハビリの仕事を通じて、一生元気で歩ける体をつくるには、どうしたらいいんだろうということを、ずっと考え続けてきました。

体のことをすみずみまで知り尽くし、美を求めるよりほかに道はないと思うようになりました。


「健康になるために●●する」のではなく、美しく生きる。つまり自分のエベレスト(なり得る限りの最高の自分と使命)に向かうという生き方を選んだ先に、健康がおまけでついてくるという順番なんだなあと思うのです。


健康とは

回復力を信じられること


健康とは生き方。

あなたの美学。


毎日何を繰り返すか?

誰とどんなことを語るのか。

ずっと、これの積み重ね。   


世の中の多くの人が、痛みを忘れるくらい楽しくて気持ちのいい経験を重ね、生き生きと生き、人生の最期に「この体で生きてきてよかった」「体の細胞全部に幸せの記憶しかない」という生き方を実現するために、私の人生すべてをかけ、考えうるすべての手だてを講じようと思っています。


生きているうちには

いろんなことがあるけど

これからも一緒にがんばっていこう。