受講生の体験談

●オカリナ奏者として、各地でパフォーマンスや公演をくり返しているKさん(40代京都府)

2011年に事故で脚の神経を挫滅する大きなケガをしました。Kさんは失業し、家の中に閉じこもっていた時期に、福田が書いていたブログを読んで10秒ポーズを続けてくれていた女性です。


体を動かして感想を求められたときなどにパッと頭に浮かぶ言葉が、ことごとくネガティブなものばかり。否定的な言葉を使わない表現を意識したが、普段、家族(夫)の前ではどうか?変えなければと思った。前向きにリハビリに取り組んでいると自分では思いこんでいたが、歩き疲れたときや疼痛があるときなどに、患側の弱さや痛みのほうばかりを意識していた。ということは、これまでも無意識下では弱さや痛みに対して怒りや悲しみなどのネガティブな感情を持ち続けていて、意識を向けるたびに増幅させていたかもしれない。


立つ、座るなどの基本姿勢を保つだけでもさまざまな筋肉がはたらいていて、使われているのだということが分かり、運動はできなくても姿勢を保つことはできる、毎日意識してやってみよう!と思う。運動後、左足(患側)が疲れたり痛みを感じたときに「お疲れさま」と語りかけるようにした。未来の自分の体を今の自分がつくりだす、という意識を常に持つようになった。罪悪感から解放され、行動を選択する際に「(行動の先にある)未来の自分」を意識するようになった。体の感覚に敏感になった。体の声が悲鳴になる前の段階で聞こえるようになり、歩き過ぎやリハビリのやり過ぎがなくなった。


弱い部分や傷ついた部分が頑張っている、回復しようとしていることを実感。命あることへの感謝の気持ちが一時的ではなく持続して持てるようになった。体の「快感(気持ちいい、心地いい)を探しに行く」を意識し続けたら、心の不快にも敏感になってきた。かつて書いた自分のプロフィールが、自己憐憫を誘う表現や何かを隠すための「嘘」だらけで気持ち悪く感じるようになってきて、改変を繰り返した。


「10秒でいい、10秒止めているだけでいいというのが、救いだった。だって、私の体は動かなかったんだもん。立てないし、歩けないし、歩いても、半歩もすすまない。え、これだけでいいの?って、感じでしたけど、やれば『ああ、細胞が生きている。細胞が甦っていると』いう感覚が得られた。あのころの10秒ポーズは、手書きの絵だったと思うのですけど、ペンギンポーズはさすがにできなくて、支えられながらやっていました。けがをして3~4年がいちばんつらかった。社会から取り残されるんじゃないかと思っていた。


10秒ポーズは、たくさんあるのがいいところ。だって、私は体が動かなかったから、普通の人が、まったく平気なことでも、私が同じことをやると、3週間はもとに戻れないくらい大変だった。たった10秒止めるだけなのに、なんでこんなに自分はできないんだと思ったくらい。ペンギンポーズがたった3秒だけど、できるようになったときには、あ!!できた~!という感じでした。


ゆうこ先生は、家の中に閉じこもっていた時に見えてくる景色を、ブログに書いてくれていた。97才くらいのおばあちゃんが、寝ていてリハビリをしている状態で、こんな体で死んでしまいたいといいながらも、ゆうこ先生との会話の最後には、素敵な言葉を語っている。自分も負けちゃいけないな、私、まだこのおばあちゃんの半分しか生きていないと思った。自分らしい演奏を、どこでもやれるようになるというのが、いまの課題。自分の体を嫌いにだけはならないでおこうと思う。





美容師Mさん(40代 福井県越前市)

「10秒ポーズは、形の説明だけでなく、自分と向き合うのをガイドする、意識のガイドが必要です。そうでないと、形ばかりに走っちゃう。私も時々、そのことを忘れて、形にとらわれていた、と気がつくことがあります。でも長年教えてもらっていて、よかったと思うのは、自分の体がどうなっているか、ということが分かるようになったこと。自分で思い出してやれるから、効果が上がるんです。


ポーズのとり方だけでなく、ふだん座っていても、あ、いま左にかたむいていたなあとか、『足の裏をスキャンしてみて』、という言葉を思い出して、ついでにお尻をスキャンしてみると、あ、私いま左よね。卵焼き焼いているときにも、あ、また左足重心よね、というのに気がついている。私は左の股関節が悪くて、歩くたびにポキポキと音がしていたのですけど、『寝ているときに左を下に寝ているんじゃない?』と言われて、普段をみなおした。その繰り返し。もう音がしなくなったし、ハイヒールをはいて、走ることもできる。ロケットのポーズをしても、ただ上に伸びるだけじゃなく、『足を踏みこんで』とか、繰り返し聞いてきたことで、体への意識が高まった。それによって、安心感が生まれた。スクワットできなくても、力を入れてみるとか、自分なりの生活に当てはめられている。


あと、たとえば、足の裏をスキャンしてみてと言われると、一気に意識が足の裏にいくでしょう。そうすると、シャキッとする。ああ、いつもふわふわしていたのが、自分がドンとしてくる。それが自信かな。居場所とか。自分の体の使い方を見直して、お客さんにもアドバイスできるようになった。その人にも気づかせてあげられる。自分が学んだことを一緒に分かち合える。美容のことも、一般の人が知りたいことは、専門家にとってのあたりまえのことだったりする。ゆうこ先生にとってあたりまえのことも、私にはすごく貴重な知識だった。


私の母は足が悪いから、遺伝というのでは無いにしろ、将来に不安がありました。でも今は、将来像を描いても安心できます。股関節の不調がありましたが、普通に働ける事に感謝です。そして以前はヒールが履けなくなった時もあったのに、ヒールがまた履けるようになったり、坐骨神経痛とマッサージ師さんに言われた時もあったのに、もう痛みなんか何にもない。身体の不安が消え、感謝しかありません。


執着をとりはらうと、自分のもっている何かが鮮明になってくるんですね。悩みと向き合いすぎていると、見えない世界があるんですね。『病気とか、ケガをしてしまったら健康でなくなったのではなくて、それがあっても健康なの』『人のことを見て、かわいそうと思う人は、自分がその立場になったときに、自分のことを同じように見下したり、憐れんだりしてしまうのよ』と、先生が言ってくれた。あれが自分の中にはいってきた言葉だった。これからは、自分にスポットライトをあてるのではなく、相手にどう伝えれば伝わるかを考えようとおもうんです。同じ症状をもっていて、同じ苦しんでいる人たちに刺激や勇気を与えられるような存在になりたい。」


●膝の人工関節の手術とパーキンソン病の診断をうけたMさん(福井県鯖江市70代)

10秒ポーズの体操に通いはじめて4ヶ月ほどで、見違えるように歩けるようになり、介護サービスの利用をすべてやめるまでになりました。おどろいた担当のケアマネジャーさんも、通っていらしたほどです。テレビにもとりあげられ、「スーパーへ行くと、買いものする間もなくなるくらい、話が止まらなくて、けっきょくカゴの中身を戻して帰ってきたんですよ」「会う人、会う人みんなに、元気になりましたね、上手く歩けるようになりましたね、と褒められるから、ますます元気になります」と、会う人みんなに元気を与え、励ましておられます。


「私は、バセドウ病経過観察中。関節リウマチ内服中、膝の人工関節の手術、難病のパーキンソン病、言ってみれば病気の問屋なんです。いまも、動きにくいし歩きにくい。だけど、教室のお母さんが、ほんといい人で、行けば心が休まったんです。病気は、ストレスの固まりでなるものでしょ。だけど、体操にいくと、実家に行ったみたいな気分になるんです。


体操も、もちろんいいんだけど、教室にはプラス・アルファがいっぱいある。4年前は、もっと薬の量が多かったけど、だんだん減ってきて、今日もお薬が減りました。嬉しくて、今日はまず、ゆうこ先生にこのことを報告したかったの。パーキンソン病を看てくれている主治医の先生が、私の筋肉を触って、『これだけ筋肉ついている、たいしたもんや』と言っていらしたの。『この病気のこと、知っているんか、だんだん悪くなってくんやぞ』と言われたけれど、『ハイ大丈夫です、私にはいい体操の先生がついているから』といいました。



●教室に通ってきてくれている病院勤務の理学療法士Aさん(40代 福井県鯖江市)

10秒ポーズは、人が人からつくる体操なんだと思うんです。理論から作りあげたのではなく、人から作りあげたような感じがします。私たち専門家は技術があって、知識があって理論的につくりあげていくけど、やる本人にとって大事なのは、自分がやれるかどうか、自分が誰かと一緒にやっていこうと思えるかなんですよね。10秒ポーズは、人から作りあげたから、たくさんポーズがあるんですよね。


病院ではたらく理学療法士は、一生ずっとその人のリハビリ運動を担当してあげられるわけではありません。退院が決まれば、いずれ自主トレーニングのメニューを渡す時がきます。でも、私が通所や訪問リハビリテーションなど、地域で働くようになって、はじめて知ったことがあって。ときどき、『病院から自主トレメニューをいただいたんです』と、プリントをもっていらっしゃる方があるのですが、ああ、きっとこれを何年もずっと握りしめていたんだろうなあ、どこかに貼っていらしたんだろうなあと思うくらいに、なっているんです。「でも辛いのよ」と来所されるんです。

たいてい、よくあるパンフレットのコピーで、適合しないプログラムにだけ『これは×、やらない』とか、と書いてある。でも、渡された方にしてみれば、お守りとおもって、ずっとやっているんですよね。渡したときにはそれがいちばんよかった方法なのかもしれないけど、『実は、あんまり教えてもらえなかった』と言ってこられたりする。それを見ると、悲しくて。白衣を着た先生の言葉がいちばんだと信じてくださっているのに。

自分のために、家族のためにと、運動をがんばって、毎日過ごしてこられる中で、私たちが白衣を着て伝えることの重さを、すごく感じるようになりました。無責任に何でも渡してはいけないなと、地域に関わるようになって、すごく思う。病院では、その時のことしか考えられなかった。その時のことしか考えずに、数少ない筋トレメニューを渡していたことを思うと、自分は未熟だったなあと思う。いまは、バリエーションのある、ずっと持っていていただいても大丈夫な、大事にしてもらえるような運動のガイドラインをつくりたいなあと思うんです」



●フィットネスインストラクターNさん(50代 福井県)

「10秒ポーズを知ってからは、体のことをむずかしく考えなくなりました。体を感じたままに止めたり、動かしたりしていいんだな、ああこれでいいんだな、気持ちいいのがこれでいいんだなと思えるようになったのです。いままでは、骨格のことをきちんと正しく伝えなくてはいけないと思っていて、実は自分はそれが苦手だった。それよりも、ビームを出してというだけで、骨盤が立ちあがってくるわけだから、体を誘導してあげられる。いままで、すごくもやもやしていたものが簡単に伝えられるようになったから、私にもお伝えできる、伝えられると、気持ちが楽になったんです。仕事では、お客さまへの声かけが変わりました。


私は、仕事の年数だけが経つばかりで、地に足がついていない感じがずっとしていたんです。それが、しっかり立てるようになった。仕事が安定し、生活面も安定した。くよくよしたりとか、自信が無かったりしていたのが、生活で自信がついてきた。私は、しっかりと生きていけるんだという自信がついた。お客さまからは、納得した、腑におちた、という反応が返ってくることが増えてきた。家庭で私が安定していれば、家族のメンタルも安定します。キリキリと言い返すことが減りました。我慢して、ではなくて、相手のことを思える余裕がついたということです。


今までいろんな研修を受けてきて、何十年かけていろいろやっていても、自分は何をするべきなのか、やりたいのかが、分からなかった。きっちりお客様にアウトプットできているのかも曖昧だった時期が、私はずいぶん長かった。学んだことを理解はしても、アウトプットするのに臆してしまっていた。いま思えば、アウトプットする前に、話し合える相手がいなかったんです。10秒ポーズにはその相手がいる。相談できる場が次々と身近にあるから、安心してアウトプットしようという気持ちになれたんです。」